
ちょこっと勇気
電車の座席に座る時、最近「よっこいしょ!」と言っている自分にびっくりすることはありませんか。僕はありゃ、また言ってしまったと後から認識はするのですが、時すでに遅し。よっこいしょとまた言っています。なぜか発する言葉の先頭文字は「ど」ではなく「よ」なのですが・・・。(その違いはまたの機会に・・・。)
さて、その発声のあとに、僕がすることは、本を持っていれば読みだすのですが、本がないときはたいてい目を閉じてしまいます。特になんとなく対面の座席と近いような気がする大江戸線ではそうです。
それは何故かというと、向かい合った席にやはり乗客がいて、視線をそらしつつ顔だけ真っすぐ見たり、目が合うと視線外しに何度も同じ吊革広告を見てしまう自分の所作のぎこちなさに、ちっちゃな自己嫌悪を覚えるからです。僕はいつも、車両の真ん中、すなわち向かい合う座席のちょうど真ん中に、雲りガラスでも置いてくれないかなと真剣に思ってしまいます。
自意識過剰と言えばそうかもしれないですが、すいた電車の向かいあった乗客との「にらめっこ」は大の苦手なのです。そんな内気な僕の所作をさらにぎこちなくするのが、座席を譲るべきか譲らざるべきかの判断に迷う人物が僕の目の前に立ったときです。明らかに自分の祖父母、だいたい70代後半~80代、最近聞かなくなりましたが、ちょっと失礼な感じのする「後期高齢者」の方に対しては、すぐさま席を立つのに躊躇はないです。
ただし、“前期”高齢者?の方に対する判断が難しいのです。譲るべきか、譲らざるべきか?譲ろうとして「僕は大丈夫。」「有難う。でも結構ですわ。」などと丁重にお断りをされて、上げた腰をもう一度座席にくっつけるときの、間の悪さ。そして雲りガラスの間から見え隠れする対面の人と目があったときのバツの悪さ。悪いことをしようとしたのではないのだから、堂々ともう一度座ればいいのですが、内気なひとは、その自分の判断自体におどおどしてしまう。
しばらくして僕の目の前に立っていた乗客は下車します。するとまた雲りガラスがなくなって、対面の乗客との視線外しに、意味もなくまた同じ吊革広告を見つめてしまう・・・。
そんな経験をしょっちゅうしている僕ですが、せたがやしぐさの5カ条にこの「ちょこっと勇気」が選ばれて、ちょこっと勇気を出してみるかな?と思っている今日この頃であります。今日もお付き合いいただき感謝です。(写真はインタネットから。あまり本文とは関係ありませんが・・・。)
【せたがやしぐさ】事務局 櫻井重之





