江戸しぐさ その一【肩ひき】
肩ひきとは、道を歩いていて対面から近づいてくる人とすれ違う場合、すれ違う側の肩を、自分の進行方向と反対側にひく、すなわち、すれ違う「相手」の進行方向に肩を引くことである。そのとき上半身が約45度回転する。
僕はこの「肩引き」を大学受験・浪人生時代から励行している。今年不惑なので、かれこれ20余年行っている「肩ひき師」である。僕の肩ひきとの出会いは、テレビのバラエティ番組だったかと思う。たしか男性タレントが歩道の真ん中に立って、「肩ひき」の実践をしながら、その効用をレポートしていた記憶がある。それによると、人間、自分が一歩ひくと、物事うまくいくというのである。
はたして人によくぶつかるという人間はいるものである。結婚14年目の小柄な我が妻もそうである。結婚前、デートの集合場所を東京の新宿駅東口交番前にすると大変である。週末の東口交番前は大混雑。僕が先に来ていて、彼女を待っている場合、人の木立の中から、彼女の顔がわずかに見える。僕は思いっきり手をあげてお互いの場所を確かめ合い、彼女は僕の立っている場所に近づいてくる。その10メートルの間に彼女はいろんな人にぶつかるのである。場合によって、数十センチよろめいて飛ばされたり、ぶつかって睨まれる。そういう姿を僕は、ちとトロいなぁと思いながら微笑ましくじっと見ている。彼女が数10センチのところまで近づいてくる。すかさず僕は、「肩ひきって知ってる?」
僕の蘊蓄が始まるのである。彼女は「へ~そうなんだぁ。やってみよう。」と可愛く言ってくれたっけ。でも今は、「わかった。わかった。昔も聞いたよ。」「三万回聞いた!」
不惑とはそんな今日この頃である。
さて、僕も最初は疑心暗鬼であった。たかが肩をひくくらいで・・・と思っていた。だがやってみると面白いように、ひとにぶつからない。対面から歩いてくる相手の速度を目算しながら自分の肩をひく速度を調整する。そして少しもかすらずにすれ違ったときの達成感、その数秒間のスリルがたまらない!のである。
もちろん「肩ひき師」にも失敗はある。後方から近づいてくる速度不明の物体、すれ違う寸前に速度をあげる、特に生後2000日くらいの物体の運動への対応には弱い。
最近の失敗で忘れられないのが、20代後半くらいの背広の紳士との一戦である。僕の左はガードレール、右は駐車場の鉄製の柵だったろうか?彼は右手に黒のブリーフケース、左手は携帯電話でメール中だったろうか。せわしなく親指が動いていたと思う。道幅は約1メートル、肩ひき師には造作無いシチュエーションである。ただし運悪く、僕も左手にパソコンの入ったブリーフケース、結構重い。右手には、ある会合の資料がいっぱいつまった成城石井の頑丈な紙袋を二重にして持っていた。彼がメールを打ちながら一歩一歩近づいてくる。僕はすかさず、速度計算に入った。たやすいケースだ。僕はいつものようにさりげなく右の肩をひいた。
すると次の瞬間、シュッという摩擦音が聞こえた。しまった!肩はすこしも当たっていなかったのだが、右の腕にある、資料が入って重い成城石井の紙袋が、慣性の法則にのっとり、肩の動きに合わせて、動いてはくれなかったのである。「失礼!」無意識に言葉を発していた。
そして、こともなげに僕は会合の場所である、玉川台区民センタに向けて数歩前進していた。ところがである。背中になんとも不思議な、殺気立った感覚が残る。どうしたことだろう。急がないといけないのに・・・。
ふと僕は反射的に後ろを振り返った。はたして、そこにあったのは・・・・。
ぼくとすれ違ったあの若いスーツの男性が、ブリーフケースを右手に、携帯は左手で胸の近くまで掲げたまま、首だけは僕の方を向けて、まるで般若のような形相で僕をじっとにらみ続けているではないか。その顔つきの恐ろしいのなんのといったら、「エルム街の悪夢」のフレディのような目で僕を睨み続けていたのである。
僕は考えた。走って逃げるか?でも荷物が重すぎる。荷物を捨てるか?小委員会はどうする?戦うか?でも僕より背も大きいし、体格もいい。
さて僕は、頭だけを何回も「首ふり人形」のように縦に振り続けていた・・・。振り続けていたその数秒間も彼はずっとフレディだった。フレディはいまにも、その鉄製かもしれないツメで飛びかかってくるようであった。ニュースにのる、日常の些細ないさかいから起こる、考えられないような事件というのは、こういうシチュエーションの発展形なのだろうと実感して、怖くなった。
でも読者の皆さん、まぁ、これは僕の肩ひき失敗経験。皆さんはそんなことは気にせずに、肩ひきを楽しんでいただきたい!
「肩ひき」は自分が引くことによって、相手が気付かなくても、相手が気持ちを害さずに、お互い気持よく生活を続けていけるとても良い知恵、「しぐさ」の一つ。ぜひとも、おためしあれ!
肩ひきはどこでも、ひとの集まるところでその真価を発揮する。ご自分の最寄り駅、買い物で行くショッピングセンタの陳列棚の前の通路、どこででも。ご自宅のなかでもしかりである。肩ひき師としては、もし宜しければ、浅草・雷門に行かれたら、仲見世の中を堂々と、でもすれ違うときは、「肩ひき」でお願いできれば幸甚である。
40の39
0 件のコメント:
コメントを投稿