
ゲーテッドコミュニティと神無月のころ
週末の朝日新聞に、ゲーテッドコミュニティ(Gated community)という耳慣れない用語の記事が出ていた。ゲーテッドコミュニティとは、「住宅地の周囲を高い塀で囲ってしまい、ゲートを設けて出入りを制限しているのが最大の特徴である。欧米では、1980年ごろに登場した。近年、日本でもゲーテッドコミュニティの形をとる大規模マンションなどが現れている。しかしながら、地域が分断されるなどとして周辺住民が反対運動を起こすケースもみられる。」(Wikipediaより)とある。要するに、自分の住んでいるコミュニティを閉じた空間で囲ってしまおうというわけだ。もちろん、僕たちはそれぞれの家に住み、その空間は閉じられているわけではあるが、より範囲を広げてコミュニティ自体を閉じてしまい、要塞のように外部との交流を制限しようというわけである。
たしかに昨今の社会状況を鑑みると「安全、安心なまち」からほど遠い事件が多発しており、治安の悪化は子供をもつ親としては非常に重要な問題である。
昔、兼好法師が「徒然草」の「神無月の頃」で書いているように、
『神無月の頃、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるゝかけ樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に、菊紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるがまはりを、厳しく囲ひたりしこそ、少しことさめて、此の木なからましかばと覚えしか。』
とある。
後段だが、枝にみかんがたくさんなっている木の周りを、みかんが盗まれないように囲ってあったのには少々興ざめがして、いっそこのみかんの木が無かったらいいのにと感じたという。しょせん鎌倉の時代から、人間の本性は変わらないのだろうか。
ひととひととの交流を前提にしてコミュニティは成り立っているのである。そのコミュニティが交流を制限しようとし始めたとき、今後僕らの社会はどのように変わっていくのだろうか。
そんな将来には、もうせたがやしぐさも必要なくなってしまうのではと危惧する今日この頃である。
(写真はインタネットから。)
【せたがやしぐさ】事務局 櫻井重之
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